アメリカの水ビジネス、順調な流れも以前ほどの勢いなし

水ビジネス業界の専門家たちは過去数年間、世界の水ビジネスを動かす大きな要因として、水資源の不足、増えつづけ異動しつづける人口、インフラの改善と拡張のための資金の不足、それに水質規制の厳格化を挙げてきた。この間、世界の水事情が年とともに深刻さを増していることを別にすると、水ビジネス業界にはほとんどなにも変化は起きなかった。

事情に通じた多くのひとが、「水は21世紀の石油だ」という趣旨のことを異口同音に唱えた。The Economist誌の2008年8月23日号のある記事は、水を「世界経済に欠くことのできない潤滑油」であるとし、石油と同様、水の需給がきわめて逼迫しつつあることを伝えている。この記事は、水の需給逼迫の直接的原因として、人口増加、なかでも特にアジアにおける中流階級の出現を挙げている。アジアでは、きれいな水を使えることが生活水準の指標になっており、ひとびとは先進工業国の国民が享受している水をふんだんに使う生活にあこがれている。

The Economist誌は、水の需給逼迫のシナリオを裏づけるものとして、2008年8月にストックホルムでひらかれた国際会議2008 World Water Weekにおけるプレゼンテーションからいくつかの数字を引用している。たとえば、JPMorganのデータによると、食品・飲料の5大企業――Anheuser-Busch、Coca-Cola、Danone、Nestle、およびUnilever――は、生産工程で毎年約5750億リットルの水を使っている。半導体製造では、200平方メートルのシリコン・ウェハーをつくるのに13立方メートルの水が必要であり、カリフォルニア州のシリコン・バレーでは水の全消費量の約25%が半導体生産に使われている。タール・サンドから油分を抽出するには――これはコストがかさみ、環境面でも問題のある方法だが――油分1リットルを抽出するのに5リットルの水が必要となる。

 

上下水道インフラに関していえば、ここにも世界的に大きな問題があることは水ビジネスの専門家たちによく知られているところである。世界中で20億人以上が満足な衛生設備のない環境で暮らしている。水の媒介による病気で、毎年180万人もが命を落としている。2050年には、世界の人口の半分が深刻な水不足にみまわれるおそれさえ出てきている。中国の都市部では、河川のおよそ90%が重度に汚染されている。アメリカでは、老朽化した水道ネットワークの漏水率が50%近くに達しているといわれている。こういう話は、挙げていけばきりがない。

水ビジネスのアナリストでありTechKNOWLEDGEy Strategic Group(コロラド州Boulder)の社長でもあるSteven Maxwellは、State of the Water Industry 2008と題する報告書のなかで、世界の水事情を「生命にかかわる切迫した危機」ということばで表現している。Maxwellはこう述べている。年とともに、「世界の水問題は、地理的なひろがりにおいても、科学的な複雑さにおいても、また、人間への影響という点においても、そのスケールを増してきている――この問題を理解し、解決するためにわれわれが力を合わせても、その能力は相対的に見てますます希薄になりつつある」いまこそ、「この水問題の解決へ向けて確実な第一歩を踏み出すために、この問題に集中した国際協力によるアプローチをスタートさせる必要がある」

実際に水ビジネスにたずさわっているひとたちは、こうした問題に日々とりくみつつ、成長してきた。その彼らにしても、まるで潮流に逆らって進んでいる感はぬぐえないが、それでも、ほんのすこしずつながら成功をおさめつつある。水リサイクルと淡水化の効率性が実証されつつあり、水が経済発展のネックとなっている地域では、これらの方法が淡水を得るための代替手段として以前に増して受け容れられるようになってきている。民間企業は、公的セクターとパートナーを組むことにより上下水道システムの運営を引き受け、運営効率改善の能力を実証しつつある――崩壊の途上にあるインフラの修復に水道料金や税収だけでは追いつかない現状を考えると、この運営効率こそ、いままさに求められているものなのである。さらに、膜や紫外線(UV)殺菌から嫌気性処理にいたるまでの革新的技術が、水をどのような純度にまでも思いのままに処理することを可能にしている。そこで肝心なのは、こうしたことのすべてを、必要とされる場所にいかに展開していくか、ということになる。

 

アメリカの広い意味での水ビジネスは、2007年の総売上がおよそ1200億ドル(約12兆円)だった。これは2006年と比べると4%ないし5%の伸びにあたる。このうち、上水道ユーティリティ(うち公的セクターは約70%)と下水処理事業(うち公的セクターは95%以上)が全体の年間売上のそれぞれおよそ3分の1を占める。残る3分の1は、さまざまな装置やサービスである。一般に、アメリカの水ビジネス業界の状況はまずまずといってよいが、ひとつ、はっきりとした懸念事項がある。それは、大部分を自治体と連邦の資金に頼っている――あるいはすくなくとも連邦主導の――顧客層の購買力に、経済がさまざまな影響をおよぼすのではないかという懸念である。

Environmental Business Journal誌(EBJ)がアメリカの水ビジネス企業のトップを対象に実施したアンケート調査では、70人を超える企業トップらから回答が得られたが、それによると、彼らの大多数は、成長率にかなり顕著な下降が見られるだろうと考えている。最も多かったのは、2007年の8~9%という成長が2008年には5~6%に落ち込むだろうという回答だった。また、回答者らは、市場の原動力となる要因、業界の主要な課題、技術、および地域市場についてもそれぞれの見かたを示し、資金の手当て、規制、ビジネス手腕、革新的技術、新興国経済の今後の動向などが重要であると指摘した。

2008年の選挙結果にかかわりなく業界に何らかの変化が起きるだろうと予想した回答者は多くはなかった。しかし、何人かは、政権交代によって何かよい効果が生まれると考えている。

 

背後ではつねに変化が

2002年以来、水ビジネス全体の年成長率は4%から5.5%のあいだで推移してきたが、この数字だけからだと、水ビジネスの市場にはほとんど変化は起きていないようにも見える。しかし、仔細に見ていくと、水ビジネス業界はつねに流動的であることがわかる。さし迫ったニーズに応えようと、また、他の業界ほどは周期的な浮沈がなさそうなこの業界でひと儲けしようと、新規参入業者がたえず流れ込んでくる。企業買収などによる業界再編は、さながら潮の満ち干のような活動レベルの上下こそあれ、これがまったく廃れてしまう気配はいっこうにない。すでに数年前のことになってしまったが、一時期吹き荒れた企業買収の嵐の時期に、General ElectricやSiemensなどのよく知られた巨大企業が水ビジネスに参入し、いまもそこにとどまっている。この10年間にフランスとイギリスの水道ユーティリティが国内外で示した大きな戦略シフトは、業界のトップ・プレーヤーらの大規模な入れ替わりを助長する結果になった。

だが、こうして多国籍企業のプレゼンスが高まってきているにもかかわらず、水ビジネス業界は依然としてきわめて細分化された状態にある。だが、細分化されているといっても、それはふつうの意味(すなわち、あまたの中小企業がひしめきあっているという意味)ではなく、より深い、よりファンダメンタルなレベルでの話である。おそらく水ビジネス業界には、製品戦略、販売・マーケティング戦略、その他ビジネス・モデルの異なる業態が10以上ある。

 

世界の水ビジネスをひとつのものとして捉えること自体、たぶん適切でないだろうと、Global Water Intelligence誌の発行者Christopher Gassonはいう(これについては本号の「GWIのGassonに訊く――細分化が水ビジネスの成長を阻害:民間のさらなる参入に期待」を参照されたい)。水処理の装置とサービスの世界市場は、顧客ベースで見ても、またサプライ・チェーンの観点からもきわめて細分化されており、需要の面でも、またサービスや装置を提供する企業という観点から見ても、地域密着型の傾向がきわめて強いとGassonはいう。同氏によれば、装置やサービスの提供で世界規模の事業展開をしているのは一握りの巨大企業だけで、地元市場以外に影響力を行使できる企業は数えるほどしかない。

前出のMaxwell社長は、高度に細分化された業界という捉えかたは業界に新たな変化が起きることを示唆しているという。とりわけ、水市場への投資のしかたに新たな変化が起きつつあるとMaxwellは指摘している。

これまで、水ビジネスへの投資はあまり容易なことではなかった。大きな資本の投資意欲が水ビジネスの莫大な資金需要に向かいにくかったのである。これは、Maxwellによれば、水ビジネス市場の大きな部分が自治体がらみであり、資金を投じにくい領域であることがすくなからず影響しているという。その結果、投資家の資金は水のバリュー・チェーン全体から見れば小さな部分を占める個々の水ビジネス銘柄へ向かうというのがこれまでの傾向だった。このバリュー・チェーンをじゅうぶん深く理解することを怠ったため、投資家たちはしばしば、水ビジネスの成長に期待しすぎたという気持ちを抱いて去っていった。

たしかに、水ビジネスはその原動力となる要因が生活や経済の基本に深く根ざしているため、確実かつ予測可能な成長を享受できる領域ではある。それに、水ビジネスのなかには、魅力ある利益をもたらしてくれる分野もある。だが、そこには落とし穴もある。水ビジネスに投資するには、まえもってよく勉強しておかなければならないのである。

どうやら、投資家たちはこのところよく勉強してきているようだ。投資家たちのあいだでは、個々の水ビジネス銘柄から撤退し、水を貯蔵、処理、配水するのに必要な基本インフラのさまざまなレベルに資金を向けることを重視する傾向が強まってきている。さらに重要なのは、水そのものを資産と見て、そこに本質的な価値を見出して投資する傾向が見られることだとMaxwellは指摘する。

これは、水利権の売買、つまり資産としての水の取引への関心がよみがえってきたことを意味している。資産としての水の取引は、水ビジネスの一部門としてじつに魅惑的ではあるが、歴史的に見ると、さまざまな規制、官僚主義による障害、環境団体や地域団体の反対、それに加えて、行政区域や場合によっては流域を超えてまでこの資産を動かすことについてのごく漠然とした不安感に遭遇してきた。かといって、水利権の売買そのものはまったく新しいものとはいえない。しかし、最近になって、この資産を賢明なしかたで移転する必要性があることに乗じて、いくつかの新しいファンドが名乗りをあげてきた。こうしたファンドは、事情に通じたブローカーとして、大きな需要のある資源の配分に役立っている。アリゾナ州で最近あった取引は、こうしたファンドが自治体、農民、牧場主などのステークホルダーと協力して、広い層に利益をもたらす取引ができることを象徴的に示している。

 

ひとによっては、「水利権市場」ということばそのものからして、せいぜいよく言っても撞着語法的というそしりはまぬがれず、これはまさに世界の水「ビジネス」の真に意味するところを突いているというかもしれない。水は空から降ってくる、水は基本的人権にかかわることだ、水は神さまの贈り物とさえいえる、と多くのひとはいう。いったい、民間企業が何の権利があってこの水という資産を私物化し、それをひとびとに売りつけて金儲けをしようというのか?

こうした倫理的難題の標的となるのは、水資産の取引にかぎった話ではない。水道ユーティリティの民営化も――民営化反対論者のなかには誤ってこれを官民協力まで含むものとして理解したひともいたようだが――これと同様の難題を突きつけられた。たしかに、民営化劇のなかには、有名なボリビアのコチャバンバの例のように、ひとびとにとってよくないものもあった。

 

水が21世紀の石油になるとだれが最初にいったのか、それは定かでない。同様に、「水は神さまの贈り物かもしれないが、神さまは水道管を敷いて水から汚れを取り除くのをお忘れになった」と最初にいったのがだれなのか、それも定かではない。だが、わたしたちはこうした見かたに賛成する。だれであれ、こうした決定的なニーズを満たすために生涯をささげるものは、それをすることでそれなりの生活を営む資格があり、また、処理技術であれ、資産管理であれ、施設の運営であれ、そこに革新をもたらすもの、そしてその革新を市場にまで活かすことに成功するものは、その報いをうけるに値する。

水道事業における官民協力や、水資産の権利の取引は、うまくいくはずだし、実際うまく機能するとわれわれは考えている。特に、民主制度が正常にはたらいてこうしたことがオープンにおこなわれるとすれば、そして、こうした仕組みをつくるのに頭脳明晰で事情に通じ、献身的なひとたちの参加が得られるとすれば、かならずやうまくいくとわれわれは信じている。われわれはまた、経営者にしろ、技術者にしろ、投資家にしろ、また、政治家でさえも、よい生活のためによい仕事をする献身的な人材が不足しているとは思わない。われわれはただ、もっと多くのこうした人材が世界の水問題に目を向けてくれることを願うのみだ。(Grant Ferrier、George Stubbs)