物価上昇にともない、水のコスト抑制の圧力ますます高まる

過去数年間のうちに、石油価格は1バレル40ドルから現在の1バレル120~140ドルという大きな変化に見舞われた。中期的には、1バレル200~250ドルといった価格レンジを視野に入れることも、あながち荒唐無稽な話ではなくなってきた。石油産出国や石油生産企業にとっては、これは問題ではない。彼らにとって、少なくなっていく石油からより多くのマネーを得るのは、すばらしいことだ。国の蓄えが長持ちし、国庫がカネで埋まり、企業は同じ掘削と精製をしながらマージンが増える。だがいずれにせよ、中国やインドのひとびとの大きな願望や期待が失せてなくなるとは考えにくい。

石油価格の上昇は、不可避的にエネルギー価格の上昇を意味する。しかも、再生可能エネルギーにせよ、新たな原子力プログラムにせよ、新しいエネルギー源の見通しはというと、これが効果を発揮しはじめるのは早くても2025年ごろで、それまではほとんどあてにできない。ここで話を水の問題に絞ると、水にとって電力はこれまでもつねに大きなファクターだったし、現在では最大のファクターになってきている。上水道にせよ下水処理にせよ、仕事をすればするだけポンプを動かさなければならないのである。

水処理用の化学薬品の価格も上昇している。Nalcoは水処理用化学薬品の価格を20%ないし30%値上げしているし、他の化学薬品メーカーもそれに追随しようとしている。

資金調達コストも上昇しており、水ビジネス界も、仕組み金融や金融保証といったものの負の側面の意図せざる犠牲者になっているといえる。金融業者は見かけの資本コストと実際の資本コストとの不一致に気づき、それをじっくり精査しようとしている。おまけに規制面でのリスクが信用格付けを引き下げ(例外的に柔軟な財政によりこれをまぬがれているのがウェールズのGlas Cymruで、同社の信用格付けは逆に上昇した)、こうしたことがダブル・パンチとなって資金調達コストを押し上げている。しかも、金利の上昇とインフレの再来がいままさに懸念されている。

OfwatのPR09(2009年の定期価格見直し)を目前にひかえたイギリスの水ビジネス業界が直面しているのは、このような厳しい状況である。上下水道はその性格上、独占事業であり、政治および規制の介入をきわめて受けやすい。そこで、この業界は、上昇するコストと、水を物価上昇対策の見本にしようという政治的要求とのはざまで苦しむことになる。

革新的取組の必要性は以前にも増して大きい。これは単にコスト削減だけの問題ではない――水の消費とエネルギーの使用を内部化していかなければならないのである。

わたしがかかわっているある企業は、あるベンチャー・キャピタルから「水はクリーン技術に属さない」という理由で融資を断られた。こうしたやからにとって、「クリーン技術」とはカーボン関連の技術であって、他のなにものでもない。これではまるで、ペンギンは飛ばないから鳥ではないといっているようなものだ。

水に関連した効率改善の努力は、何であれ、カーボン・フットプリントの削減にもつながっている。水の使用量を減らせば、ネットワークでポンプを使用する割合も減る。グレー・ウォーターの使用を内部化すれば、水を移動させる必要がその分だけ減る。もちろん、それには限界があり、使った水はどこかの時点で処理プラントに送らなければならない。

水の浪費をなくすためのインセンティブをともなう規制の提案もなされているが、それに関連してさらにいえば、効率改善ですぐれた実績をあげた企業や、省エネ技術に投資する企業に報いることによって水セクターの技術革新を推進することを、いまこそ真剣に考える時がきている。

進化生物学者のスティーヴン・ジェイ・グールドは、種Aが種Bに進化するのを説明するのに「断続平衡」という説を唱えた。動物や植物は、ある期間、安定した状態で相互に作用しあっているが、やがて、なにかの変化が起きる。すると、それまでほぼ同じ状態にとどまる種に有利にはたらいていた選択圧にゆがみが生じ、大きく変化する種に有利なようになり、その後、新たな平衡に到達する、というのが彼の説である。

水セクターにおいては、大きな変化の原因になるのは法規制である。たとえば3次処理は、EU指令がなければヨーロッパでは依然として例外的なものにとどまるだろう。ときには、技術革新が変化をもたらすこともある。膜技術の急速な開発と実用化がそのよい例だ。技術革新によってコスト、エネルギー使用量、および水の消費量を減らそうと思うなら、いまをおいてその時はないのである。