ハイチ地震やハリケーン・カトリーナのような自然災害のあとでは、水の需要が高まるのに、その水が不足しがちである。前記の災害の被災地はどちらも海に近かったが、海水を淡水化しようとしても、これまでの技術では、どうしても信頼できる電源や大がかりな脱塩プラントが必要になり、どちらの被災地にもそれはなかった。
マサチューセッツ工科大学(MIT)電気工学・コンピュータ科学学部のSung Jae Kim博士研究員とJongyoon Han準教授が韓国の仲間の研究者たちと開発しようとしている新しい淡水化法では、太陽電池を電源とする小型の携帯可能な装置で脱塩を行い、個々の家庭や小さな村の単位なら、十分にその飲料水の需要をまかなうことができる。しかも、この装置を用いれば、ただ水を確保できるだけでなく、その水から多くの汚染物質やウイルスや細菌を除去することもできる。イオン濃度分極というこの新しい手法については、3月21日発行のNature Nanotechnologyに掲載されたSung Jae Kimらの論文の中で説明されている。この研究の資金は、全米科学財団からの補助金のほか、SMARTイノベーション・センターからの補助金で賄われている。
逆浸透という、今主流の淡水化方法では、膜を使って塩分を濾し取るが、この方法では、水に膜を通過させるだけの高圧を維持するために強力なポンプが必要になるし、膜が塩分や汚染物質によって目詰まりを起こしやすいという欠点もある。今回発表された新しいシステムでは、塩分や微生物を静電気によってイオン選択性のある膜から遠ざけることによって水から分離する。そうすれば、高圧をかける必要もなくなるし、目詰まりの問題も起こらないはずだ、と研究者たちは述べている。
このシステムは、きわめて小さなもので、マイクロ流体デバイス用に開発された製造方法――マイクロチップの製造方法に似ているが、シリコーン(合成ゴム)のような材料を使用する――を用いてつくられる。個々のデバイスはごくわずかな量の水しか処理しないが、実際に製品化するときは、そういうデバイスを多数集め(研究者たちは直径8インチのウエハー上に1600個のデバイスをアレイ状に並べることを考えている)、1時間に15リットルほどの水を処理し、数人分の水を確保できるようにすることが考えられている。装置全体は閉じた構造になっており、重力で水を流す――上から塩水を入れ、下のふたつの出口から水と濃縮された塩水を取り出す――仕組みになっている。
用途によってはこの小ささが重要になる、とKimは指摘している。たとえば、ハイチ地震の被災地のようなところでは、飲み水を必要としている人のもとへ送るインフラがほぼ壊滅しているので、人が持って歩けるほどの小さな装置のほうが都合がよいのである。
これまでのところ、研究者たちはこの原理でつくられたデバイスを1個だけ使用し、マサチューセッツ州の海岸で採取した海水の脱塩に成功している。このときの水には、意図的に小さなプラスチック粒子やタンパク質や人間の血液を混ぜていた。その結果、装置は塩分などの汚染物質を99パーセント以上除去した。「この原理がこのチップのレベルではうまくいくことがはっきりと証明された」Kimはそう述べている。
実は、この方法に必要な電力は、逆浸透を始めとする現在の大規模な手法に求められる電力よりやや多いのだが、この装置と同等の効率で小規模な脱塩を行うには、ほかに方法はないと研究者たちは言う。そして、適切に設計すれば、このシステムの消費電力は結局のところ通常の電球程度ですむとも言っている。
イリノイ大学Urbana-Champaign校にある全米科学財団の研究センターWaterCAMPWSのMark A. Shannon所長も、この見方に同調している。先の論文が掲載されたNature NanotechnologyのNews & Views(ニュース概説)の欄で、この新しいシステムは「おそらくこれまでで最も小さなエネルギーで少量の水を脱塩することができる装置」であり、それを多数並列に組み合わせれば、Kimやその共同執筆者が言うように、「海水を重力で流しながら、わずか1個の電池で1時間に何リットルかの飲用水を供給できるシステムがつくれるだろう」と書いている。今のところ、小規模な脱塩を行う効率的な方法はほとんどないので、この装置は、被災地や貧しい国の僻地のようなところでの深刻な水需要に応えられるものになる可能性があると言うのである。
英国ハル大学の研究者Alex Ilesも、長期安定性や製造技術を確立するためにはなお実験が必要としながら、「これはすばらしい海水脱塩の新しいコンセプトだ」と称賛し、コストも安く、メンテナンスもそれほど必要としないシステムになると思われるので、「災害救援などの用途には理想的な手段」になる可能性があると言っている。
イオン濃度分極という、このシステムの基本原理は(燃料電池によく用いられるナフィオンのような)イオン選択性物質や電極の近傍で起こるユビキタスな(遍在的な)現象であり、この研究チームも他の研究者たちもすでに生体分子の予備濃縮などのほかの用途には応用しているが、浄水への応用が試みられたのはこれが初めてだった。
分離は静電気によって起こるので、電荷を持たない汚染物質は除去することができない。このため、残る粒子(主に産業性汚染物質)も除去できるようにするため、このシステムを従来のチャコールフィルターと組み合わせ、ひとつの装置で安全かつきれいな飲料水が得られるようにすることを研究者たちは考えている。
今回、単体のデバイスで原理を証明することに成功したKim、Hanらは、このあと100個のデバイスでスケールアップしても効果が変わらないことを証明したうえで、さらに1万個のデバイスから成るシステムをつくることを計画しており、このシステムを製品として開発できる準備が整うには、あと2年ほどかかると予想している。
「このシステムがほんとうに堅牢で携帯可能な装置として機能するかどうかは、そのときにわかるでしょう」Kimはそう語っている。