世界の人口の多くにとって、きれいな飲み水の供給はじゅうぶんであるとはいえない。だが、ナノテクノロジーを使うことで、この問題の長期的な解決をはかることができる。
ナノテクノロジーは、大規模な上水道施設がまだ整備されていない途上国での水処理に、より大きな役割をはたすことができるだろう。
われわれは水を求める種である。人類は、きれいな真水がなければ生き延びることができないが、われわれが生をうけたこの惑星では、97.5%の水が使いものにならない。
飲用に適したものとしてわずかに残された水も、農業、工業、そして貧弱な水管理が原因で、ますます汚染の度を増しつつある。2030年には、39億人(予想される世界人口の47%)が、きれいな水へのアクセスをもたない状態に陥っているだろう。
水不足の大問題への極微の解決策――ナノテクノロジー:
この大きな問題に対する極微の解決策がある。極微の物質、ナノマテリアルを使って、水から有害な金属や危険な有機分子を取り除いたり、塩水を淡水に変えたりすることができるのである。このほかにも、ナノテクを利用した多くのソリューションが開発されつつある。
「ナノテクノロジーのうちで最も有望なのは、既存のシステムに組み込むことのできるものだ」と、カリフォルニア工科大学と韓国の国立大学KAISTに籍を置く環境工学の専門家、Mamadou Dialloは言う。これはたとえば、ナノ粒子で機能強化された膜が既存の浄水プラントにスムーズに組み込めることなどを意味している。
EUなどのNametechプロジェクトとオランダのNanoNextNLプロジェクト:
EUの政策執行機関であるヨーロッパ委員会とノースウェスタン・スイス応用科学大学の共同出資によるNametechプロジェクトでは、既存の浄水プラントですでに使われているフィルターを特殊な働きをするナノ粒子で機能強化する試みがなされている。
「われわれは広範なナノ粒子の添加を試みている」と、このプロジェクトのマネージャーを務めるノースウェスタン・スイス応用科学大学ムッテンツ校のThomas Wintgensは言う。ここでいう広範なナノ粒子には、たとえば次のものが含まれている。
- バイオマグネタイト:磁気微粒子で、塩素化有機分子やある種の有毒金属を除去する。
- 銀:バクテリアを殺す。
- 二酸化チタンのナノ粒子:ホルモン、医薬品、汚物など、通常よくある有機汚染物質を分解する
――これには、汚染水に光を照射するだけでよい。 - 二酸化チタン:この物質はすでに塗料や日焼け止めに使われていることから、だいたいにおいて安価な技術といえる。
Nametechプロジェクトでは、ナノテク利用の膜をテストする小規模なパイロット・プラントを動かしている。そこでは、20センチ大のモジュールで毎時およそ1立方メートルの水を処理することができる。しかし、新しい技術は何でもそうだが、実験室規模を超えた実証プラントでのテストが今後必要となる。
いっぽう、オランダのトゥウエンテ大学のRob Lammertinkは、ナノテク利用の水処理には産業界から関心が寄せられているが、まだそれは初期の段階だと言う。Lammertinkは、ナノテクに関するオランダの大規模合弁事業NanoNextNLにおいて水関連のナノテク部門のトップにいる人物で、おそらく5年か10年のうちにはナノテクによる水処理が大規模に利用されるようになるだろうと予測している。
まったく新しい発想も――ティーバッグ型フィルター:
科学者のなかには、従来の水処理業界的な発想をやめ、もっと小さなスケールで水不足に対処する方法を考えているひとたちもいる。
南アフリカでは、どこにでもあるようなティーバッグがヒントになって、いちどに1リットルの水を浄化する方法が編み出された。通常の飲料水ボトルの飲み口の内側に、ティーバッグ状の目の細かいネットを置くだけというものだが、これがじつはナノテクを駆使した驚異の浄水フィルターなのである。
南アフリカのステレンボッシュ大学のEugene Cloeteが開発したこの生物分解性ティーバッグは、内側に水溶性のポリマー・ナノファイバーの薄い膜がコーティングされている。このナノファイバーは抗菌剤が染み込ませてあり、細かなメッシュ状に織られている。
このティーバッグ型フィルターは、ほとんどの汚染物質――バクテリアなら最大99.99%――を濾過することができる。バッグに詰められた「茶葉」は活性炭で、重金属その他の汚染物質を吸着して除去することができる。
だが、これはまだ試作品で、消費者向けに市場に出せる最終的なものは、AquaQureという会社が現在開発しているところである。しかし、この段階でもすでに、このフィルターはきれいな水に容易にアクセスすることのできないひとびとの生活を大きく変えることのできるものとして、多くの期待を集めている。
淡水化へのナノテクの応用:
世界の水不足に対処するには、汚い水を浄化するだけが唯一の方法ではない。前出のMamadou Dialloは、世界中に有り余るほどある塩水から淡水を得る方法、すなわち淡水化と呼ばれるプロセスが、ナノテクノロジーによってより効率的な、費用効果性の高いものになると指摘している。
これが実現すれば、Dialloの母国セネガルなどの国ぐににとってはたいへんな朗報となる。こうした国ぐにでは、地下水の採りすぎのため、ますます深いところにある帯水層から水を得なければならない事態におちいっている。だが、帯水層は深ければ深いほど、そこで得られる水がかん水であることが多くなるのが常である。
淡水化は費用がかかり、また、多くのエネルギーを消費する。逆浸透(RO)は、現在最も有利な技術といわれているが、水に高い圧力をかけて膜を透過させる必要がある。これについてDialloは、こう述べている。「いまのところ、われわれは海水からきれいな水を取り出している――だが、そうではなく、塩分を取り出さなくてはいけないのだ。最先端のナノマテリアルなしに、これをすることはできない」
コストについていえば、淡水化プラントでつくられる水のうち、世界で最も安いのは現在のところ1立方メートルあたり約31ペンス(約39円)である。だが、これはもっと安くなる可能性がある。
たとえば、塩水に2枚の金属板をひたし、電圧をかけると、塩が液体から分離しはじめる。塩のうちのプラス電荷を帯びた部分(プラス・イオン)は負極の金属板に引きつけられ、マイナス・イオンは逆に正極に引きつけられる。
この2枚の金属板をナノマテリアルでコーティングし、プラスとマイナスを交互に入れ替えると、イオンを比較的効率よく集めて除去することができる。コーティングするナノマテリアルとしては、カーボン・ナノチューブなどのナノ加工した炭素が候補に挙がっており、これによって淡水化のコストが75%削減される可能性がある。
前出のDialloによれば、上に示したようなコンデンサ状のデバイスが工業規模で生産されるまでには少なくともあと10年はかかるという。
途上国での分散型処理にナノテクのより大きな役割:
しかし、たとえば途上国の、大規模な浄水・配水施設や水道ネットワークがまだ整備されていない地域においては、水処理が分散型であるがゆえにそれがかえってナノテクノロジーに大きな役割を演じさせてくれる可能性もある。
ナノテクを利用した淡水化装置や浄水装置は、水をまさに必要とする場所、すなわちポイント・オヴ・ユースに直接設置することができ、小規模な利用や、災害などの緊急事態における活用にも適している。「おそらく、ナノテクノロジーは、水へのアクセスの平等な機会を実現する技術、すべてのひとにコップ1杯のきれいな飲み水をもたらす技術になるだろう」とDialloは言う。