マサチューセッツ工科大学(MIT)やイエール大学の出身者がつくったスタートアップ企業、Mattershift(本社:ニューヨーク市)が、これまで困難とされていたカーボンナノチューブ(CNT)膜の大量生産に成功した。同社は、分子単位の結合や分離を可能にするこの技術の開発をさらに進め、空気中のCO2からガソリン、軽油、それにジェット燃料をつくり出すことなどをめざしている。
Mattershiftはすでに、小規模な生産でプロトタイプのCNT膜をつくり、その成果を科学誌上で発表しているが、同社が大量生産でつくったCNT膜の特性や性能がプロトタイプCNT膜のものと同等であることを確認する実験結果が、2018年3月9日にScience Advances誌上で発表された[1]。これは、Mattershiftと、テキサス大学オースティン校のBenny Freeman教授およびコネチカット大学のJeffrey McCutcheon博士のそれぞれの研究室のスタッフらとの共同研究の成果をまとめたものである。
はかり知れない可能性
CNT膜が広範な用途――エタノール燃料の低コスト生産、高精度ドラッグ・デリバリー、低エネルギー海水淡水化、医薬用化合物の浄化、高性能触媒反応による燃料生産などなど――にきわめて有望であることは、過去20年にわたってさまざまな研究で示されてきた。だが、CNT膜の作製が困難で多額の費用がかかることで、この膜の使用は大学の研究室に限られてきたし、また、このことがCNT膜の広範な利用を阻む要因であることがしばしば指摘されてきた。MattershiftのCNT膜大量生産技術は、この膜の可能性をこうした束縛から解き放つものとして期待されている。
これについてテキサス大学オースティン校化学工学科のFreeman教授はこう述べている。「CNT膜の大量生産に成功したことは、膜の分野での大躍進といえる。このような新しい材料に着目してそれを商業ベースに乗せるというのは大きな挑戦であり、だからこそわれわれは、Mattershiftがなしとげたことを目の当たりにしてほんとうに喜んでいる。分子レベルの分離という分野で、カーボンナノチューブにはきわめて大きな未知の可能性があり、今後この技術がどこまで発展するのか、いまわれわれはそのほんの入口に立っているにすぎない」
低エネルギーの海水淡水化
MattershiftはすでにCNT膜の最初の販売実績をあげており、2018年内に海水淡水化用のCNT膜を出荷する予定である。この膜を使った海水淡水化は、これまでパイロット規模で実証されてきたどの淡水化プロセスよりも少ないエネルギーしか必要としない。これについて、海水淡水化などの水処理システムの開発企業であるTrevi Systems(本社:カリフォルニア州ペタルーマ)のJohn Webley CEOはこう述べている。「Mattershiftといっしょに仕事をできるのはすばらしいことだ。Mattershiftの膜には、ドロー溶液を保ったまま塩がわれわれのシステムを通り抜けることができるように独特の工夫がこらされているからだ。われわれはすでに昨年、アラブ首長国連邦のパイロット・プラントで、エネルギー消費が世界で最も低い淡水化プロセスを実証しており、Mattershiftの膜を使えばこのエネルギー消費量をさらに減らすことができる」
成功をもたらした3つの要因
CNT膜の量産という画期的な成功を可能にした要因として、科学技術面および資金面での3つの重要な進展を挙げることができる。第1の要因は、この10年間でCNTのコストが100分の1に下がり、それとともに質が向上したことである。第2は、1ナノメートル以下というCNT内部のような限定された環境での物質のふるまいについて、理解が進んできたこと。そして第3は、困難な技術的課題に挑戦するスタートアップ企業への資金提供が増えたことで、これによってMattershiftは、5年のあいだ技術開発に専念することができた。
ファインマンの「分子工場」
Mattershiftの創始者であるRob McGinnis CEOはこう述べている。「この技術によってわれわれは、かつてできなかった仕方で物質世界を一定程度まで制御することができるようになった。CNT膜をどの分子が通り抜けられるか、また、通り抜けるときにその分子に何が起きるかを、われわれが選択することができるのだ。たとえば、いまわれわれは、空気からCO2を取り出してそれを燃料に変える研究に取り組んでいる。これ自体はすでに従来技術を使っておこなわれてきたことだが、コストが高すぎて実用化には至らなかった。だが、われわれの技術を使えば、化石燃料よりも安いカーボンニュートラルなガソリン、軽油、それにジェット燃料をつくり出すことができると考えている」
CNT膜を使った燃料生産は、実をいうとノーベル賞物理学者リチャード・ファインマンが1950年代に予言した「分子工場」という技術のほんの一例に過ぎない。分子工場では、触媒反応、分離、純化、NEMS(nanoelectromechanical system)による分子レベルでの物質操作など、さまざまなプロセスの組み合わせによって分子のブロックからモノがつくられる。分子工場のなかでひとつひとつのナノチューブは、ちょうどマクロ・スケールの工場のベルト・コンベアと同じように、分子を1列にして輸送する役割をはたす。
CNT膜のこうした用途について、McGinnis CEOはこう述べている。「分子工場として長いあいだ予見されてきた機能をもつマシーンのなかでさまざまなタイプのCNT膜を組み合わせることで、基本的な分子ブロックから、必要などんなものでもつくり出すことが可能なはずだ。つまり、空気からモノをプリントできるという話だ。そういう装置を火星にもっていった場合のことを、想像してほしい。地球から何も運ばずに、大気、土壌、あるいはリサイクル材料から、食品、燃料、建築素材、医薬品といったものをプリントできるのだ」
[1] Robert L. McGinnis, et al., Large-scale polymeric carbon nanotube membranes with sub–1.27-nm pores, Science Advances, DOI: 10.1126/sciadv.1700938
http://advances.sciencemag.org/content/4/3/e1700938.full